市役所で「運命」に出合ったキックボクサー(1Round)
話を聞くために教えてもらったLINEのアカウント。プロフィールにはリング上で渾身の左ストレートを放つ格闘家の姿があった。キックボクシングと社会福祉士を兼務していた山﨑雅也が、農業の世界に飛び込んでおよそ2年。「運命なんじゃないか」と話す山﨑が、まったくの異業種への転身を決意させた背景には何があったのだろうか。
「人生は1度きり、もう後悔したくない」
LINEのアイコンに驚きました。
後楽園ホールのデビュー戦のときの写真ですね。格闘技歴は12年あります。24・5歳くらいのとき1年間だけ、プロでキックボクシングをやっていました。「プロ」はファイトマネーがあって、お客さんがチケットを買って観戦してくれるものなので、責任というかプレッシャーは感じていました。
スーパーバンタム級(55㎏)で試合していましたが、通常の体重は65㎏でしたので10㎏減量して試合に出ていました。普通にごはんが食べられるありがたみを感じました(笑)。リングに立つときはいつも「死ぬかもしれない」くらいの気持ちで戦っていたので、肝は据わったんじゃないかと思います。現在は試合をするわけではなく、トレーナーをしています。
キックボクシングを始められたのは
K-1がきっかけでした。当時活躍されていた魔裟斗さんたちみたいにキックを蹴ってみたい、戦ってみたいっていうのがありましたし、かっこいいなっていう憧れが一番です。実際に格闘技を始めたのは高校をでてからです。ずっとやりたかったんですけど、卒業してバイトでお金を稼げるようになったら、自分のお金でジムに行こうと考えていました。
大学に通いながらキックボクシングジムにも通い始めて、けっこうがっつりやっていましたね。「プロでやらないか」とも言われたのですが、そのときは踏み出せなくて。でもそのことはずっと後悔していました。だから社会人になっても、1年くらいしたら格闘技をやりたくなってしまって、また始めたんです。そうしたらまた「プロにならないか」って言われて、ずっと後悔していたところがあったので即決でした。「後楽園でデビューさせてくれる」って言われたんですよ。それで、もうやりますって返答しました。
辞めたのは結婚がきっかけなんです。結婚したら辞めてほしいと以前から奥さんに言われてました(笑)。自分としては、もうちょっとだけやりたかったんですけど…。そこは奥さんと相談でした。
キックボクシングをやめられて、すぐに農業を始めようと思われたのですか。
社会福祉士という国家資格を大学のときに取って、ずっと福祉の仕事をしていました。キックボクシングと二刀流で社会福祉士として、高齢者、児童、障害者福祉など全般的に関わっていたんです。そのなかで障害者の方と一緒に農業をやっていく農福連携という取り組みがあるんですが、キックボクシングをやめたあとに、その農福連携の担当になり、そのときに初めて農業に携わったんですよ。農業に触れて、すごいいいなって思って、農業経営者の方にもそこで初めて憧れを持ったという感じです。
農業を始めるにあたっては、福祉の仕事も辞められました。大きな決断だったと思います。
大学のとき、キックボクシングでチャンスを逃すようなことをしたって言ったじゃないですか。「プロでやらないか」って言われたのに躊躇してしまったのが、ずっと心に残っていました。もうそういう後悔はしたくない。いつ死ぬかなんてわかりませんし、この農業でも、またやらない後悔はしたくないと思って、この決断に至りました。それで、農業を始めるにあたって市役所に相談に行ったら隣に早川さん(良史・早川農場代表)がいて、その場で名刺を渡されて「農業やりたいならウチ来れば」と。運命を感じたというか、これも何かのチャンスなんじゃないのかなって。もうそのときにこの人のところで働こうって思って。すぐに福祉の仕事もやめて、その数ヶ月後にはもう早川農場にいましたので、早川さんの存在も決断を後押ししてくれた感じです。
市役所には就農の相談に
そうです。新規就農についていろいろと制度や補助金などもないんだろうかと聞きに行ったら、隣からものすごい視線を感じてしまって。早川さんはずっと役所の方と話をされていたんですけど、たまにチラッとこっちに視線が(笑)。で、なんだろうなこの人って、ずっと気になってしまっていました。
そのときの早川さんの第一印象って覚えてますか。
最初は半信半疑で、「怪しい人じゃないかな?」「大丈夫かな?」という印象でした。だから確かめるためにも、その日のうちに早川農場を見に行ったんですよ。「ウチ来なよ」って言われていたので、実際に行って見学させてもらったら、この人やっぱりすごい人なんだって。農業って最初は鍬とかスコップとかを持って、けっこうな肉体労働というイメージがあったんですけど、早川農場に行ったらまず、機械に圧倒されて、トラクターとか機械そのものの大きさもすごいんですよね。普通に個人でやられてる農家さんのトラクターのもう2倍も3倍も大きいようなトラクターが何台も何台もありました。あと若い社員さんが多くて、そこにも衝撃を受けました。自分が持っていた農業法人のイメージとは違って、すごい経営者さんだなという印象でした。
ある程度ご自身でも調べていて、それで就農の窓口に行かれたと思うのですが、イメージしていたものと早川農場で見たものが、あまりにも違っていた。
そうですね。実際、障害者の方と農業に触れてるときもトラクターなどはあんまり乗らなくて、手押しの耕運機で耕して、鍬で畝作って、手で種まきをしたりしてたんです。だから手作業が多くて、機械作業というのがあんまりなかったんです。でもこれが農業なんだろうなというイメージを持っていたので、こんなに機械化されているのかって感じたんです。
2Round へ続く →